« 2014年7月 | トップページ | 2014年10月 »

2014年8月22日 (金)

バイオ企業・林原の破綻

  岡山市という地方に生まれ、世界に通じる技術力を持つ創業130年の老舗企業、株式会社林原を含むグループ中核企業3社が会社更生法適用を東京地方裁判所へ申請した。平成23年2月2日、東日本大震災が起きる前月のことだった。

負債総額は約1400億円で、これで創業家の林原一族は経営から一切退くことになった。しかも専務の林原靖氏の著書によると、社長、専務の林原兄弟は個人的にもすべての財産を無くし、当時の取締役2名の預貯金も没収され、すべてを失ったと書かれている。

林原と言えば甘味料などに用いられる糖質トレハロース、抗がん剤用途のインターフェロンを生産し、数多くの特許を有し、世界規模で販売していた日本の誇れるバイオ企業だ。

そのため業績は過去10年間好調を続け、借入金返済も一度も遅れることなく順調に進んでいたのである。更生法適用直前期の売り上げは281億円、営業利益45億円と営業利益率16%の超優良企業で、今後もこの好業績は続くと誰もが見ていた。

にもかかわらず会社更生法に追い込まれ、金融機関等への弁済率は93%(過去の更生会社の弁済率平均は約11%)と更生法下では異例の高水準、しかも更生法適用から約1年2ヶ月でのスピード終結となった。

短期間での叩き売りのため担保物件は通常の半値、七掛けで売られたのにも関わらず、驚くことに1300億円の弁済原資が確保されたのだった。もし通常取引であれば経営の継続性には全く問題がなかったはずだ。それが何故潰れなければならなかったのか。

   私は今回の事件を見て、まず思いだすことがあった。それは、1996年に負債総額220億円で倒産した(株)佐藤工務店の佐藤社長の言葉だった。

「わが社に一人でも貸借対照表が読める社員がいたらこんなことにならなかった。もしいたら5年後には自己資本比率40%以上を目指そうなどの経営方針を作っていたはずだ。そのためには、無駄使いもしなかったはずだ。」と。

このことは今回の林原事件にも共通するのではないだろうか。

まずトップの林原健社長は研究肌で財務には関心が薄かったようだ。そこで弟の専務の靖氏が財務を管理していたと思われるが、どうやら会議では損益計算書の話だけだったようだ。

また専務の靖氏がたとえ気づいていたとしても進言できる雰囲気ではなかったようだ。

それは健社長の長期政権が続き、後継者が育たず(育てず?)周囲には、イエスマンしかいなくなっていたことを物語る。

そのため健社長を筆頭に採算度外視の「研究開発」に、全社挙げて没頭していくことになったのではないだろうか。

さらに林原は文化芸術活動を支援するメナセ事業(林原美術館、林原国際フォーラム、備前刀の作刀技術継承のための「刀剣鍛錬道場」、ゴビ砂漠での恐竜化石の発掘調査・・・)に力を注いできた。

それは実力以上の過剰なのめり込みとも見えるものだった。これらも貸借対照表をしっかり読んでいれば、まずは内部留保の充実・・すなわち自己資本の強化などに向けていたはずだ。

 会社組織を盤石にするためには、内部統制のための内部牽制の仕組みを日頃から作っておく必要があったのだ。

しかし、それはこれだけの優良企業といえども、そう簡単にできることではないことも事実だ。だからこそ親身に相談に乗ってくれるコンサルタントが身近にいなかったのかと思うと残念でならない。

経営者は日頃から外部の知恵を借りるべくアンテナを張り巡らしていなければならない。このことを肝に銘じて頑張ろうではないか。

2014年8月18日(月) 著 者   千葉  和彦

« 2014年7月 | トップページ | 2014年10月 »