中国反日デモ
4月は官公庁はじめ、企業の多くが新年度入りし、新入学、新入社、異動などで、周囲が何かと活気づいている。ピンクの桜の花も何やら私たちの心を浮き立たせてくれる。この桜の花が満開に咲く季節が私は好きだ。
さてこの季節、ホリエモンことライブドアの堀江社長の言葉を借りるなら、「想定外」のことが多すぎる。特に記憶に新しいのが、西武王国に君臨していた堤義明氏の逮捕だ。
ダーウインの進化論は、今日まで生き残ってきたものは、もっとも強いものでもなければ、もっとも賢いものでもなく、よく変化に対応したものだといっている。西武王国やダイエーの崩壊を見ると、どんなに大きな力のある企業でも社会の変化に対応できなくなった企業は市場から退く運命にあるのである。企業は何のために存在するのかをここでもう一度原点に立ち返り考える必要がある。企業は、世の中に「価値を提供する。」ために存在する。社会に価値を提供できなくなった企業は、顧客の支持を失い、売り上げを落とし、存続が不可能になり、市場から撤退するのである。それはどんなにカがあろうが、技術があろうが、例外はない。
それにつけても、日本の企業の寿命を短くする要因にならなければと心配なのが、日本企業の中国への過剰な投資だ。ここ10年日本の企業は先を争って中国へ進出してきた。
中国人は我々と顔は似ているが、DNAはまるで異なっている。今の中国人は、何しろ何千年も戦いに明け暮れ、その上、寒さと飢えに耐え、生き残ってきた人たちの末商なのだ。タフで喧嘩が強いのは当たり前ということになる。我々のように五人組を基本とした農耕民族とは所詮ことなるのである。問題は、日本の多くの企業が目の前の利益に目がくらんで、そこに潜んでいる国際政治のリスクを忘れてはならないということである。我々の常識を前提にした危機管理では不十分ということに気づかなければならない。
企業は当然のことながら下部構造である経済体制の縛りを受けながら、質的にも変化していく。今の世界経済は、御存知のように民主主義を根底に置く資本主義が国際社会の枠組みを作っているが、この体制も将来何らかの変革をとげることになる。グローバルスタンダードの名を借りたアメリカ型の力任せの国際政策が長く続くとは思えない。
しかし、ここで大事なことは、アメリカや中国など他国の批判をしても何もはじまらないということである。日本にはどの国にもない素晴らしい伝統と文化があることに、再度目を向け、誇りをもって全人類の平和を願うことである。対立や抗争から何も生まれないことを我々は良く知っているではないか。過去過ちがあったかもしれないが、それ以上に日本は世界に誇れる素晴らしいものを一杯もっている。卑屈にならず、胸をはって、自信を持って、国歌を高らかに歌いたい。今回の中国のデモは熱くなった頭を冷やすチャンスを天がくれたと考えたい。